サイパン旅行
無事に卒業できることが決まりました。サークルの追い出しコンパも終わり4月まで緩やかな死を待つのみとでもいうような状況です。働きたくないでござる。
帰ってから日が空きましたが3/4~8でサイパンに卒業旅行に行きました。
3/4からとはいったものの深夜到着の便だったので実質的には3泊4日の旅行です。
3/5
さっそく海遊びに興じました。
マリンジェット。転覆を恐れて安全運転に徹していたら遅いとおこられました。
ゴーグルをつけて潜るだけでも様々な種類の魚と出会えました。黒いやつは非常に攻撃的。
いかにも南国っぽいやつ
鼻がとんがったやつも。流れがきつく魚の写真を撮るのはけっこう大変でした。
24💲で撮ったM4シャーマンの写真。なぜかというとこの後カメラを海中に紛失し探してくれたガイドに12💲ずつのチップを払ったからです。バナナボートには二度と乗るまい。
滞在中、常に我々の部屋から見えていた金八レストラン。バカチンがぁ!とか言わない。TVニュースに出ていた日本人旅行客いわく味は「微妙…」とのこと。でも英語字幕は「satisfied!」
3/6
午前中は戦争資料館を見学し、午後はATVでオフロードを走り回りました。
AmericanMemorialParkでは短編記録映画の上映、島民や米兵の回顧に基づく戦争資料の展示をおこなっていました。この周りは広大な公園になっています。
手前の4輪バイクのような乗り物がATV、奥に並んでいるのがバギーです。ちなみに僕だけ恐れをなしてバギーに転向しました。
オフロードを行く我々。
途中、ココナッツジュースやココナッツの刺身(まるで貝のよう)をたらふく振舞ってくれました。写真は残骸を器用に貪るアヒル。日本統治時代の影響か刺身(現地でもSASHIMI)は醤油とワサビで食べるのが普通みたいです。
夕焼けの海。後ろに見える大型船は有事に備えて常に停泊している備蓄船だそうです。どこの浜辺に行っても複数隻いるのでかなりの数が配備されているのでは。
戦争資料館のおばちゃんに教えてもらったのですが、週一のマーケットが開かれる日だったので夕食は屋台でとりました。1品1💲の惣菜と主食を五品選んで弁当にするスタイルの店が多かったです。何で味付けしたのかわからない料理が大半でしたが普通にうまかったです。
3/7
島内の名所史跡をまわるバスツアーに参加し、午後はマッサージに行きました。いかがわしいやつではないです。
北部に追い詰められた日本軍及び民間人が多数身を投げたというバンザイクリフ。
落差はあるものの意外に水深が深く、溺れたり鮫に食べられたりというのが主な死因だったそうです。
多くの慰霊碑が並んでいました。
日本軍最後の司令部とありますが実際の司令部はもう少し南方にあったそう。錆止めの塗装だけなされたトーチカや戦車がそのまま残されています。
石窟の内部。艦砲射撃によって開いた大穴や壁にめり込んだ銃弾が生々しいです。
旧日本軍95式軽戦車の残骸。サイパン島の陥落がB29による本土への直接空襲につながるわけですが、広島に原爆を投下した機体もサイパンから発進したということで、この旅行の直前に広島の平和祈念公園にも訪れていた僕にとってはなんとも考えさせられる場所でした。
多くの鳥が周辺を飛び回ることからバードアイランドと呼ばれる小島。左向きに横たわる象に見えると言われているそう。確かにそんな風にも見えます。
1920年代にマリアナ諸島で製糖事業を成功させた松江春次の像が立つ公園、通称シュガーキングパーク(砂糖王の公園)今は色とりどりの花や植物の見られる公園ですが像のズボンの左ポケットには銃弾が掠めた痕跡があり戦禍に晒されたことを物語っています。
公園内の花の一部。どういったいわれは分かりませんでしたが公園内には香取神社がありました。鳥居や狛犬もれっきとした日本式。
現地ニュースのキャスター。ものすごく浮かれてる人に見えますね。コメンテーターらしき人が登場するシーンではその人も花冠つけてたのでこれがマリアナ諸島のスタンダードっぽいです。花冠つけたおじさんが二人並んで喋る姿はとても報道番組には見えず。
3/8
最後にもうひと泳ぎして昼食を食べてチェックアウト。あっという間でした。
最後まで天気には恵まれました。
スケキヨっぽい岩
最後の昼食はハードロックカフェサイパンで食べました。ロックミュージシャンの使用楽器やレコードのマスター版が飾られた音楽好きにはたまらない素的空間です。いつかご当地ドラムスティックを制覇したい。
映画
・「バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲」(1997年・米)
買ったCD
・「Philharmonic or Die」くるり